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京都を巡る、中坊進二が蛤御門で見てほしいポイント

極めて中坊進二的な感慨ともいえますが、京都は現代に続く近代が幕開けした場所です。その中でも、禁門の変がターニングポイントといえます。禁門の変蛤御門の変ともいいます。1864年8月20日に、京都で起きた武力衝突事件です。前年に京を追放されていた長州藩勢力が、会津藩主で京都守護職にあった松平容保らの排除を目指して挙兵し、京都市中で繰り広げられた戦闘です。特に、激戦地が京都御所の御門周辺であったことにより、それ以来、蛤御門の変と呼ばれています。激戦の証として門の梁には、今でも弾痕が残っています。この武力衝突で、それまで京を主導していた長州に代わり、一橋慶喜会津藩桑名藩が協調により主導することになります。この戦闘で敗北した長州は、その後、その戦闘では対戦相手であった薩摩と、坂本龍馬の仲介で薩長同盟を結び、協力して討幕を果たします。しかし、会津とは、禁門の変の報復を含めた戦いともいえる戊辰戦争で、徹底的に打ち砕きました。長州勢力は、戊辰戦争後の明治時代に会津出身者を冷遇し続けました。薩摩にしても、明治政府になってから、政府の要職から西郷隆盛はじめ多くの偉人が追放され、最後は、西南戦争で敗北しました。蛤御門は、現代まで続く長州中心の近代政府の起点となった門です。まさしく、近代のスタートとなった門です。長く、鎖国で戦争がなかった日本ですが、銃弾の跡は、日清、日ロ戦争、第一次大戦、第二次大戦へ続いた号砲の跡でもあります。中坊進二がお勧めする見どころは、門に弾痕が残っている限り、歴史も現代に続いてるところです。中坊進二を含め、維新好きな人は、それぞれに見方が違います。実際に門を見て、自分で確認するのは面白いです。