中坊進二の京都トリップ、歴史を感じる正伝寺

中坊進二のおすすめ京都の歴史を感じるお寺は正伝寺です。正伝寺は正式には「正伝護国禅寺」で山号は吉祥寺といい、臨済宗南禅寺派のお寺(本尊は釈迦如来)です。京都市北区の上賀茂に位置し、五山送り火で有名な舟形のある船山の南麓の高台にあります。
この正伝寺にはとても歴史が古く総研の詳細は不明とされていますが、1260年頃鎌倉時代にまで遡ります。歴代の住職が綿々と受け継ぎ応仁の乱で一度消失していますが、安土桃山時代豊臣秀吉によって再建されました。江戸時代になるとあの大徳寺と寺領に関してケンカになり、金地院崇伝が調停したといわれています。それ以後南禅寺派に属しています。
中坊進二が特に注目しているのは方丈広緑上の伏見城の遺構である「血天井」です。1600年の関ヶ原本戦の前哨戦で伏見城が落城したときのもので、城を守った総大将鳥居元忠ら380人が自刃したと伝えられています。血の海となった床がその後各所の寺の天井板に使われたのですが、今なお血でできた手形や足跡らしいものが残っています。
京都といえば各寺社の庭も見ごたえがあって、正伝寺には中坊進二がおすすめする枯山水式庭園があり方丈の東側に位置しています。正方形の方丈東庭は白砂敷平庭で「獅子の児(子)渡し庭園」ともいわれています。「虎の子渡し」とは母虎が虎の子を連れて渓流を渡る姿にたとえたものです。さらに借景庭園の傑作もイチ押しで、石が一つも据えられていない非常に珍しい禅院敷庭園があります。構成は手前に白砂があり塀のすぐ近くに灌木の刈込みを配置していて、東の方向に借景として比叡山が見えます。このような借景は安土桃山時代後期から江戸時代にかけて摂り入れられました。南からは「七五三形式」の大刈込みが配置され、南(右手)側が一番高く緩やかな斜線を描いていて、山茶花やさつき、南天、青木などが植栽されています。東から昇る月を愛でたことから「月の庭」とも呼ばれています。